沖島の誕生とご先祖様が気になる!|滋賀 近江八幡

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海なし県の離島、
“沖島”

この島には独特の
のんびりした時間が
心地良く流れています。

目次

最盛期の住人は800人⁈

沖島は、江戸時代から戦後までの
約100年間、漁業だけでなく、
石材採掘業で栄え、
最盛期の人口は800人以上いたとか。

現在は過疎化が進み
240人ほどになっているそうです。



沖島はかつて”石切り場”として栄え
硬くて丈夫な石は、各地へ運ばれ、
国宝 彦根城の石垣にも
使われているそう。


その痕跡なのか
沖島には、至るところに
石だらけの一帯があります。

そして、この石にこそ
沖島誕生のヒミツが
隠されています!



沖島の石は、”花崗斑岩(かこうはんがん)”
と呼ばれる石で、
地中深くのマグマが固まったできた
非常に硬い石。


そう、沖島の成り立ちは
地中深くにあったマグマが隆起し、
誕生した島
と言うより、
“高い山”が誕生しました。

その山が風雨によって削られ
硬い花崗斑岩の山が
沖島の原型。


そしめ約6万年前の
近江盆地の陥没により
水が溜まり誕生したのが
琵琶湖です。


こうして今の沖島が
出来上がったとされています。
日本では、第ニ次大戦後の復興に乗じて
コンクリートが急速に普及します。

コンクリートの発展とともに
沖島の石材採掘は衰退していきました。

源氏の落武者がご先祖⁈



はなしは変わりますが
沖島に定住を始めた
人たちって、どんな人か分かりますか?



本格的に人が住むようになったのは、
平安時代末期の保元・平治の乱で
敗れた”源氏の落武者7名”が流れ着き、
住み着いた島だと言われています。


つまり沖島人のご先祖様は
漁師でなくて武士なんですね!



その7人の侍の名前は
・南源吾秀元
・小川光成
・北兵部
・中村磐徳
・茶谷重右衛門
・久田源之丞
・西居清観入道


島をぶらぶらして
玄関の表札を見てみると、確かに
「小川・北・茶谷・中村・西居・久田・南」
の侍の苗字が見受けられます。

そして、沖島小学校の校章は
源氏の家紋である
「笹竜胆(ささりんどう)」
が、掲げられています。

まとめますと
地中深くで形成された
非常に硬い石の塊が山となり

近江盆地の陥没により
びわ湖が誕生し
山が島となりました。


そして、その島に漂着した
7人の侍が定住を始めたことで
世界的にも珍しい
淡水湖の有人島が誕生しました。



いかがでしたか?
周囲6.8kmの小さくも、
びわ湖最大の島には
今も約250名の方が生活されています。

独特の のんびりした時間で
ゆったり観光してみてください♪



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